シャープさん

SHARP_JP

編集者

3,230  コルク 
2018年11月06日 更新

第1回連動企画 #自分で初めて買った家電

イベント

<お題ページ>https://corkbooks.com/stories/?id=73<寸評ページ>https://corkbooks.com/docs/awards/sharp01

2018年11月06日 更新

第2回連動企画 #家電のトリセツマンガ

イベント

2018年9月19日(水)〜9月25日(火)に実施しました。<お題ページ>https://corkbooks.com/stories/?id=87<寸評ページ>https://corkbooks.co...

2日前 更新
(全15話)

毎週木曜更新予定の寸評連載です。

お題
#思い出のダイエット #タニタ
Special
コラム
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自分の体重を直視できますか、 @SHARP_JP です。運動とか体型とか筋肉とか、日頃はフィジカルとは無縁な私のTLでも、お正月が明けると、太った、体重が、ダイエットを、といったワードが目につきます。たぶんこの時期と半袖解禁の季節が、自分のフォルムや自分にかかる重力について、向き合わざるをえないタイミングなんでしょうね。


私はそもそも自分の身体を信用していないというか、どちらかというと脳の方を信用する、過度にファンタジー寄りの人間だと思うので、ダイエットという行為には縁がない。縁がないと言っても、身体を直視しないだけで、ダイエットや運動をした方がよろしいのではという事実は、現実に横たわったままである。見ないだけで、現実はいつも厳しい。だからまた脳へ逃げ込む。内向きの円環の完成だ。


そしてこういう、脳に映るビジョンを優先する生き方は、一般に言うオタク的な生き方と相性がいい。言い換えると、推しと生きるために最適化された体質といえば、どなたか共感してもらえるだろうか。




できる!妄想ダイエット(珠虫さとり 著)




たぶん作者さんも、推し体質の方なのでしょう。「ノー推し、ノーライフ」な人物が、日常生活における、安易なダイエット法に警鐘を鳴らす。そして推しによるダイエットハックが真剣に語られる。その真剣さが最終的にタニタさんへの叫びになるくだりに、笑いを堪えることができない。


ですがその叫びはタニタさんに任せることにして、この作品で私が推したいのは、各コマで繰り出される熱いパンチラインの数々です。パンチラインというのはヒップホップの用語で、曲のラップの中でいちばん印象的なフレーズのことを言います。


「オタクの妄想力をなめてはいけない」「推しは同時に生命力の燃料ともなる」「テンション天元突破」「自分は主人公と共に選ばれし者と思い込み」「さそり座の女は倒した」「自分でも驚くほどの腹筋からくるロングトーン」「こんな残酷なダイエットがあってたまるか」


ここに書き起こすだけでなんて魅力的な字面。私がコピーライターなら教えを請いたいくらいだ。教えを請うても、推しの尊さを力説されるだけだろうけど。それにしても、推しを抱えた人たちが選ぶ言葉は、なぜいつも魅力的なのだろう。


容易に思い浮かぶのは、ツイッターの影響でしょうか。ただその点においても、限られた文字数ゆえに文意や表現が濃縮されるというより、むしろいくつものツイートを重ねて記述していく、発言数の自由さやフォロワーとの関係性が関わっているような気がする。たぶん私が魅力に感じるのは、熱烈に推しを抱いた自己を肯定しつつ、それでもなおもう一度、徹底的に自己を客観視して語ろうとする意思、知性なのかもしれない。それは人類がそれぞれの推しを普及するため民主的に作り上げられた、一種の文化的マナーともいえるのでは。知らんけど。


いずれにしろ、私はなにかを強烈に好きな人が好きだ。そして、なにかを強烈に好きな自分と、その自分を客観的に眺める自分を同時に抱えながら、好きを穏やかに、時には自虐を交えて語ろうとする人が、私は好きなんだと思う。この作者さんのような作品を、マンガでもテキストでも、私はいつまでも享受したい。好きの熱量が冷静さと配慮をもって伝わる世界、素敵だと思いませんか。

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お題
#成人式の黒歴史 #withnews
Special
コラム
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あけましておめでとうございました、 @SHARP_JP です。本年もやんわりよろしくお願いします。お正月を過ぎ、次の季節の行事といえば成人式です。荒れる荒れると毎年言われ続け、もはやどれほど荒れるか期待すらされる、なんだか不憫な成人式。ちなみに私は、自分の成人式に出なかったはず。どうもそのあたりの記憶が定かでなく、式に出たもののあまりにしんどくて思い出を消した、という可能性も否定できないのですが。


それにしても選挙権が18歳になったのに、成人式はいまだ20歳の年、というのもチグハグな気もするのですが、当事者のみなさんはどうなんだろう。選挙という社会の仕組みに初めて参加しつつ、ゆるやかに大人の称号を獲得した方が、心の準備もできていいのでしょうか。どちらにしろ、ある境目から突然、大人としてカウントされるのも、唐突な話ではある。



ハタチオメ3(ちえむ 著)




そんな成人式のお話です。成人式で顔を合わすのは言わずもがな、いつかどこかで空間を共にした、同級生なわけですよね。しばらく会わなかった気恥ずかしさやら、驚くほど変貌を遂げた友人の眩しさやら、やっと解放されたクラスの序列に再会するやら、成人式はそれぞれにとって、悲喜こもごもの場所なのでしょう。


飲み会のビール瓶のように「さあ君たちは今から大人だ」とぐいぐい距離を詰めてくる成人式というセレモニーが、大人未満だったかつての人間関係や息苦しさをありありと再生してしまうというのも、なんだか残酷な気もします。その残酷さが大人の入り口だぞと言われても、それはそれで苦々しい。


この作品で成人式に着物を着てきた彼女も、成人式の会場前でかつての同級生がキラキラする様と自分を比べてしまう。そして少し、黒い気持ちになる。他人は他人、自分は自分、と割り切れるのが大人かもしれないけど、そんなこと、成人式の現場でいきなり獲得できるものでもない。第一、大人の私でもそんな割り切り、できたことなど一度もない。


だけどここで、着物の彼女は別の角度で大人に飛躍する。成人式の着物の準備をせっせと行う、母親のことを思い出すのだ。娘の成人式を喜ぶ母親の顔をスマホ越しに見て、彼女は自身の20年でなく、母親が母親として成人した20年に思いを馳せる。それはたとえ肉親だとしても、他者の過去を思いやる行為だ。


同級生と比べて落ちこもうが、キラキラした場所から逃げ出したくなろうが、他者の時間を想像できる彼女は、もう立派な大人だと思う。そして自分のことはいったん保留してでも、母親の20年間を「ハタチオメ」と祝福できた彼女は、まさにその瞬間、成人を迎えたのではないか。


一方自分を振り返れば、ハタチどころか現在進行形で、大人としての心構えが整っているとはとうてい言えず、うつむくばかりだ。いつも他人と比べてしまうし。キラキラした場所苦手だし。だけど私だってかろうじて大人だから、着物の彼女のように、他者の時間を想像し、他者を祝福することくらいはできる。


新成人のみなさん、おめでとう。ようこそ、こちら側へ。

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8日前
ありがとうございます。描ききれなかった、自分と他人を比べちゃう黒い気持ちをこんな風にポジティブにまとめてもらえて嬉しいです。今も大人の階段登っている現在進行形ですが、自分がこうなりたいはずのオトナ像にはまだまだです。成人式って、ほんと人に成るスタートラインなんでしょうね。たまにこそっとサボりつつ(汗)今日も階段登ります(^^)。
8日前
大人になる一歩は他人を想像して行動できるかなのかもしれません。
すごく良い気づきをありがとうございます!
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お題
#面接あるある
Special
コラム
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年の瀬ですね、 @SHARP_JP です。みなさんの師は走ってますか。仕事納めとか軽々しく言うなと、苛立ちを覚える程度には私も追い詰められています。世間も会社も「納まるか納まらないかはあなた次第」みたいな顔をしますが、たいていの仕事なんて、自分の判断で片付けられたら苦労しない。仕事が納まるか納まらないかは、いつも相手次第だ。


仕事でも、生活でも、なんならツイッターでも。上司や取引先、恋人や友人知人、フォロワーと、私たちのアクションの向こう側には決まって相手がいる。そして時には「ああ、この人とはどうやら話が通じないぞ」というような相手に出くわすこと、ありませんか。


話が通じないと言っても、交わす言語や文法が異なるわけでもなく、むしろ会話のキャッチボールはできるものの、ラリーすればするほど、相手の真意が底抜けになる感覚。第三者がそのキャッチボールを眺める限り、破綻はないように見えるが、ひたすらボールを受けては返す当事者は、相手から投げかけられるあいさつも、返されるツッコミも、切り出される話題も、どこかいびつで違和感が溜まる一方。進めば進むほど会話は上滑り、相手への理解が1ミリも深まらない。そんな感じ。


そういう、文意はかろうじて破綻してはいないものの、おそろしく的を得ない指摘を繰り返すコミュニケーション、あれはいったいなんなのだろう。




干支面接(小山コータロー 著)



またヤバいマンガがやってきた。私が言う、おそろしく上滑りして的を得ない会話が、まさにここで行われているやりとりだ。干支の新メンバー募集と聞いてやってきた小林。人間だ。質問に小林はさわやかに答える。面接者である辰の意見に、流れるように逆提案する小林。ついには猿の面接官へ、面接される側なのに質問を許可する小林。あげく、錚々たる干支のメンバーに根源的なツッコミを入れる小林。人間だ。


小林はヤバい。妙に好青年な外見に、明るい表情を崩さない。だが明らかに彼の会話は、面接を1ミリも進めない。終わりが見えない面接。帰ろうとしない小林。なにが恐ろしいかって、面接者の発言→小林の回答、それを2コマずつ切り取れば、それなりにコミュニケーションがボケとツッコミというかたちで成立しているのだ。だがこれを冒頭から一連の16コマで見ると、会話は最初から最後まで上滑りしている。


私はここで既視感を覚える。この上滑り、FF外から失礼します、ではじまるツイッターのあれだ。私がいつもリプ欄で直面するやつ。いわゆるクソリプが繰り広げるツイッターのスレッドをマンガ化したら、まさにこの作品になるんじゃないか。かろうじて意味が通うボケとツッコミは成立しつつも、ぬぐいようのない不穏な空気をまとう会話。これだ。この感じ。違和感コメディクリエイター 小山コータローさんは、とうとうクソリプの空気感をマンガ化するのに成功したのだ。


そしてなぜか私は、この不穏な感じが嫌いではない。クソリプに遭遇するたびに私は、いつも少し、わくわくしてしまう。その理由はうまく説明できないのだけど、意味と無意味がゆらゆらする危うい開放感に、私は自由を感じているのかもしれない。


さあ、きょうも私のツイートのどこかで、クソリプの応酬が繰り広げられる。みなさん、よいお年を。来年の干支は亥ですね。


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